エディット・ピアフに出会う旅

『エディット・ピアフ~愛の讃歌~』
原題:「La Môme」 英題「La Vie En Rose」

マリオン・コティヤールがフランスが生んだ世界のシャンソン歌手エディット・ピアフを演じ、2007年アカデミー賞を受賞した作品『エディット・ピアフ~愛の讃歌~』(原題 「La Môme」 英題「La Vie En Rose」)。マリオン・コティヤールの迫真の演技と、エディット・ピアフの歌声、そしてその波乱万丈な人生はフランス人のみならず世界中の人が感動し涙したはず。代表曲「ばら色の人生」「愛の讃歌」は日本でも多くのミュージシャンがカヴァーしていますよね。そして、パリはそのエディット・ピアフの生誕の地であり、永眠の地でもあります。今回は「La Môme」で撮影された場所、プラスαエディット・ピアフにまつわる場所にシネマトリップしてみました。

☆エディット・ピアフ生誕の場所
まずご紹介するのは、エディットが生まれた場所ベルヴィル。ここは、フランス語の意味Belle ville(美しい都市)とは少しかけ離れたパリの下町です。彼女が生まれたといわれる場所に住所を頼りに行ってみると、ある建物のドアの上に[EDITH PIAF]の文字が。「1915年12月19日、大貧窮の中この家の階段で産まれた。後にその声は世界に衝撃を与えることとなる」という言葉、そしてドアの隣には彼女のイラストが。とても綺麗な場所とは言えませんが、ここの路上で世界の歌姫が誕生したのかと思うと、とても感慨深いです。しかし、謎が多いのが彼女の人生。一説では、ベルヴィルにあるテノン病院で生まれたという噂もあります。

●住所/72 Rue de Belleville 75020 Paris
●最寄りメトロ/「Belleville」 2, 11番線

☆モンマルトルの階段
映画の中で、20歳のエディットが日銭を稼ぐために友人のモモーヌとモンマルトルの街角で歌うシーンがあります。そのシーンの前に二人が楽しそうに駆け上がるモンマルトルの丘はサクレクレール寺院に程近い所にあります。一気に駆け上がるとかなり息切れする長い階段です。オリヴィエ・ダアン監督によると、少女時代のエディットが道の上で友人のモモーヌと一緒に移っている一枚の写真を目にしたことが、この映画を制作するそもそものきっかけになったとか。

●住所/Rue Chappe 75018 Paris
●最寄りメトロ/「Anvers」 2番線




☆ナイトクラブ 「Gerny’s」
街角で歌うエディットの歌声に目をつけたナイトクラブ「ジェルニーズ」のオーナー、ルイ・ルプレー。道で彼が声を掛けたのがきっかけになり、彼女はそこで歌うようになります。ルイ・ルプレーはエディットに「ラ・モーム・ピアフ」(小さなスズメ)と命名します。ジェルニーズは、まさに歌手エディット・ピアフが誕生した場所なのです。果たして、そのナイトクラブは今も存在するのでしょうか?「ジェルニーズ」の場所に入ってみると、その建物は現在では4つ星ホテル シャトー フロンテナックになっていました。このままでは帰れない!と思い、ホテルに勤務されているアントニオさんにお話をうかがいました。彼によると、確かにジェルニーズはここに存在していたそうです。しかし、何年か前に改装され、名前も変わり、今はホテルの(日本式)1階にある「バーラウンジle 47」になったということでした。そして、このアントニオさんも、もちろん大のエディット・ピアフファンでした。

●住所/「bar lounge le 47 HOTEL CHATEAU FRONTENAC」54 rue Pierre Charron 75008 Paris
●最寄りメトロ/「George V」 1番線、「Franklin D. Roosevelt」 1, 3番線

☆オランピア劇場
オランピア劇場は彼女が歌手としてその名声を手に入れた舞台であり、また死の数ヶ月前にギリギリの状態でコンサートを開いた場所でもあります。映画の中でも、衰弱しやせ細ったエディットが、それでも「オランピアを満席にしてみせるわ」というシーンがあります。それほど、ここは彼女にとって思い入れのある場所だったのでしょう。今でも多くのアーティスト、ミュージシャンがコンサートを行っている歴史あるミュージックホールです。

●住所/「L’OLYMPIA BRUNO COQUATRIX」28, Boulevard des Capucines 75009 Paris
●最寄りメトロ/「Madeleine」 8, 12, 14番線 、「Opera」 3, 7, 8番線




☆エディットが今も眠るペールラシェーズ墓地
ペールラシェーズ墓地には、多くの著名人(芸術家、音楽家、映画監督、俳優、歌手など)が眠っており、彼女のお墓もここにあります。緑が多くきれいな墓地で、平日でも多くの人がお墓参りに訪れています。とても広いので場所ごとに番号が付いていて、エディット・ピアフのお墓は97番にあります。彼女のお墓に近づくとそこだけ人だかりが。今も世界中からひっきりなしにファンが押し寄せて、花を捧げているのです。そして、そのほとんどは薔薇。まさに「ラ・ヴィ・アン・ローズ」!熱烈なファンレターを置いていく人もいました。墓石には、本名の[ガッション・ピアフ]と書いてあり、側面には最後の夫「テオ」の名と、彼女が16歳の時出産して2歳で亡くなった娘「マルセル」の名も彫られています。(映画ではエディットが亡くなる直前の回想シーンで実は娘がいたことを明かしています。)
●住所/Bd. de Mènilmontant沿い
●最寄りメトロ/「Pere Lachaise」 2, 3番線、「Gambetta」3番線、「Philippe Auguste」2番線

☆エディット・ピアフ広場 (Place Edith Piaf)
メトロPorte de Bagnoletの出口を出ると、ちいさな三角地帯があり、「PLACE EDITH PIAF」の看板と両手を天に伸ばして歌っている彼女の銅像があります。この広場にある小屋の側面には、彼女の顔のレリーフと親友であったジャン・コクトー(詩人、小説家、画家、映画監督)の言葉が飾られています。「彼女は比類なく、後にも先にもエディット・ピアフは決して現れないであろう。ジャン・コクトー」そして、彼はエディット・ピアフが他界した翌日に心臓発作で亡くなっています。

●住所/Place Edith Piaf 75020
●最寄りメトロ/「Porte de Bagnolet 3番線

☆BAR EDITH PIAF
エディット・ピアフ広場のすぐ側に、「BAR EDITH PIAF」を発見!ファンならここに入らないわけにはいきません。嬉しいことに、店内は彼女の貴重な写真やポスターで埋め尽くされています。中には、飛行機事故でなくなったボクサーで彼女の恋人であったマルセル・セルダンや、俳優・歌手のイヴ・モンタン、最後の夫テオ・サラポの写真も。たまたま居合わせた常連のマダムが写真の説明をしてくださいました。このバーのマスターに話を聞いてみると、ここをオープンしたのは16年前で、多くのフランス人がそうであるように、彼もエディット・ピアフの大ファンだそうです。彼女はよくこの界隈の路上でもお金を稼ぐために歌っていたということです。このバーはこじんまりとしていますが、いつも常連さんと彼女のファンで賑わっているようです。営業時間も決まっていないので、お客様が多い日はかなり遅くまで営業しているということでした。

●住所/22, rue de la Py 75020 Paris
●最寄りメトロ/「 Porte de Bagnolet」 3番線

今回のシネマトリップを終えて感じたことは、エディット・ピアフは今も尚フランス人に愛されているということです。なぜなら、彼女に縁のある場所に行くと必ずそこには彼女のファンがいて、雄弁に彼女について語ってくれるからです。そして、映画『エディット・ピアフ~愛の讃歌~』は、さらにエディット・ピアフのファンを世界に増やしたことでしょう。パリのレストランやメトロで彼女の曲を聞かない日はありません。フランスではいまだに彼女のレコードが売れ続けているそうです。そうやって、いつも誰かが彼女の歌を口ずさみ、彼女の名曲は歌い継がれていくのでしょう。(文・写真/yumiko hikage)




『エディット・ピアフ~愛の讃歌~』
(原題:「La Môme」 英題「La Vie En Rose」)
監督・脚本:オリヴィエ・ダアン  2007年 140分 フランス・チェコ・イギリス合作

1915年12月19日、パリの下町、ベルヴィル地区の貧しい家庭に生まれたエディット・ピアフ(マリオン・コティヤール)。路上で歌いながら生計を立てる母親とその日暮らしの生活。その母親に見捨てられ、父の実家娼婦小屋で過ごした幼少時代。大道芸人だった父親との流浪の旅…貧しさといつも隣合わせだった生活を抜け出して生きるために見出したこと、それが「歌」だった。オリジナルヒット曲「愛の賛歌」「バラ色の人生」などを織り交ぜながら、ピアフが世界的に有名な歌手になるまでの成功と挫折、ルイ・ルプレー(ジェラール・ドパルデュー)、レーモン・アッソ(マーク・バルベ)、マレーネ・ディートリッヒ(カトリーヌ・シロヌ)との華やかな交友関係、そして最愛の恋人、マルセル・セルダン(ジャン=ピエール・マルタンス)との熱烈な恋愛を描く感動のドラマ。


更新日 : 2011 . 7 . 15

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